〜第百十一話〜



「北川とレティシア2」






はい。こうしていると、とても気持ちが安らぎます

 潤の暖かさが伝わってくるような気がするんです


#レティシア・ハーランド











 ――二日前 ベナリア王別邸――



 ドラゴンレースの熱気の残滓ざんしが漂うロザンビュウムの街。


 夜が深まり通常ならば皆が休んでいる時間にも関わらず、


 通りにはちらほらと人影が見える。


 そのほとんどが酔っ払いだ。


 店を追い出されたのか、それとも初めから道端で飲んでいたのか。


 その者たちは酒瓶を片手に語り合っていた。


 愚痴を呟く者。


 泣きながら語る者。


 レースの結果を怒鳴り散らす者。


 酔いつぶれて道端で眠っている者。


 その者たちの脇を蒼い髪の美女が通り過ぎた。


 男たちはその女性が通り過ぎたことにまったく気がついていない。

 水瀬秋子が羽織っているケープは【神秘のヴェールミスティカル・ヴェール】と呼ばれる魔法によって作られたものである。


 ――透明人間になったみたいですね。


 と、秋子は心の中でひっそりと微笑んだ。


 秋子は誰にも気づかれずにベナリア王の別邸の前までたどり着いた。


 探査の魔法を使ってガロウフィールドの居場所を確認しようとする。


 しかし、その呪文は屋敷の敷地内に入った途端打ち消されてしまった。


 強力な結界が屋敷全体に張ってあるようだ。


 ――あらあら。これはレティシアちゃんの仕業ですね。


 真面目に仕事をしているな、と嬉しくなった反面、


 少し厄介だな、と思った。


 秋子は顎に手をあてるいつものポーズで少し考えたあと屋敷の裏手に回りこんだ。


 秋子は魔法的な侵入は数多く経験があるが、


 物理的な――つまり泥棒や暗殺者のような――侵入方法は珍しい。


 レティシアが張った結界を解呪することは可能だが、他の賊に対して侵入を許してしまう。


 秋子はガロウフィールドに話があるだけなのだ。


 ただ正規の方法では簡単に近づけないからこうして夜の闇に乗じている。


 こんな夜中に訪れることの非礼は当然心得ている。


 しかし、ベナリア総国議会が始る前に会っておく必要があるのだ。


 今日はその最後のチャンスの日なのである。


 秋子の身体は軽やかに浮かび上がり、高い壁を超えるとゆっくりと降りていく。


 ほとんど音を立てずに着地する。秋子は自分の胸の動悸が少し早くなっているのを自覚した。


 ひゅん、と風切り音。秋子の足元に数本の短刀が突き刺さった。


 刀身は闇と同色。柄も暗い色合いをしている。


 対象に悟られないことを第一優先に作られた暗殺用のナイフである。


「今のは警告です。去りなさい」


 冷え冷えとするような少女の声が聞こえてきた。声の方向には誰もいないことを秋子は知っている。


 秋子は薄暗い闇の中でもさらに闇が凝り固まっているところを見つめた。


「真面目にお仕事をしているようですね」


 闇の向こうから少し動揺しているような気配が感じられた。暗黒がゆっくりと人の形を作っていく。


「水瀬秋子? ……なぜ、貴女がここに?」


 吸血鬼の少女は紫紺の双眸を見開いていた。


「ガロウフィールド陛下に少し用がありましてね」


 にっこりと微笑む秋子。大抵の者の警戒を解いてしまう効果を持つ人畜無害をアピールする笑顔である。


 しかし、そんな秋子の必殺技を持ってしてもレティシアの警戒を解くことはできなかった。


 レティシアは驚きながらも隙のない構えを崩さない。


「こんな夜中に訪れるのは常識的とは言えませんね。


 明日、正式な手続きを踏んでお越しください」


「非礼は重々承知です。それでもお話したいことがあるのです」

「私が言伝ことづてを預かりましょう」


「直接お話したいのです」


 事務的なレティシアに一歩も引かない秋子。二人の視線が交錯する。


「融通が利きませんね。ほんの少しだけです。お願いします」


「駄目です」


「お願いします」


 秋子は艶っぽい猫なで声で懇願した。男性ならずとも無下には断れない“お願い”であった。


「駄目です」


「これはなかなか強敵ですね」


 秋子は珍しく苦笑を刻んだ。


「残念です。レティシアさん、


 貴女とは色々ありましたが仲良くなれると思っていたのですが……」


 秋子は淋しそうに目を伏せた。


「あ……」


 今まで無表情だったレティシアの顔が不安げに曇った。


「秋子、貴女には感謝しています。ですが……」


 蒼の魔女は心の中でにっこりと微笑んだ。突破口を掴んだ、と。


「私を信用できませんか? 私が陛下に危害を加えるとでも」


「そんなことはないです」


「なら、通していただけますね」


 秋子はゆっくりと歩き出す。レティシアに一歩ずつ近づいていく。


「……駄目です。それ以上こちらに来ることを禁じます」


「嫌です」


 秋子は笑顔でレティシアの命令を拒絶した。


「貴女はやはり危険です。何を考えているかわかりません。


 私に対する行動も疑問符がつきます。貴女は一体何を考えているのですか?」


「単純に言えば復讐ですよ」


 意外な言葉が出てきたのでレティシアは思わず聞き返した。


「復讐?」


「はい。愛する者を奪われた復讐です。


 最も復讐の対象は個人ではなく巨大な集団ですけどね」


 秋子の口調には感情は感じられない。淡々としている。


「私はその目的のために貴女やベナリアに協力して欲しいと思っています」


「……綺麗な言葉で飾っていますが、要するに利用しているということですね」


「否定はしません。ですが私の復讐相手はこの世界の敵――」


「ファイレクシア……ですか」


「はい。その敵を打倒するために私は動いているのです」


 レティシアはすっと身を引き道をあけた。


「私は貴女を信じます」


「ありがとう」


 秋子はにっこりと微笑んで小さく頭を下げた。










――前日 ベナリア王別邸 二階通路――



 この朝、レティシアはほとんど心を乱すことがない彼女には珍しく不機嫌だった。


 理由は二つ。


 一つは魔力の消耗が激しく体調がよくないこと。


 これは結界を張り続けているために大量の魔力を使用したためだ。


 今も魔力を消費し続けている。


 もう一つは北川潤が原因だ。


 これからガロウフィールドがロザンビュウム議事堂に向かうというのに、


 護衛であるはずの彼の姿はどこにもなかった。


 ――まったく、潤は一体何をやっているのでしょう。


 レティシアは苛々していた。


 殺しの仕事のために一月ほども進展がなくとも泰然としていられるはずの彼女が、


 北川のことになるとすぐに感情の針が大きく振れてしまう。


 ガロウフィールドや秋子はそんなレティシアを良い変化と言っていた。


 しかしレティシアは自分がどんどん駄目になっているような気がした。

 吐息の盗人ブレスストーラーでは心を乱すことは罪悪だったのだ。


 情が湧けば殺意が鈍る。怒りは冷静さを殺し冷静さを失った暗殺者は簡単に返り討ちにあってしまう。


 心を殺し、感情を消失させ、ただ淡々と人を殺す。


 そのように教えられ、ずっと実践してきたレティシアは自分の変化に戸惑っていた。


 変化した自分が良い、と思うときもある。


 胸の奥が暖かくなりずっとこの気持ちのままでいられたら、などと思うときだ。


 今は逆だった。この刺々しい気持ちは不快だ。


 不快だと思ってもそれを止めることができない。


 自分の心がまったくコントロールできない。この気持ちはどうやったら静まるのだろう。


 脳裏を掠める北川の姿。


 ――っ。潤の……潤のせいだ。私がこんなふうになってしまったのは全部潤のせいだ。


 ――早く探さなければ。


 レティシアは足早に廊下を歩いて行く。北川に会えば全てが解決すると思っているかのように北川を探す。


 一階に下りようと階段に通じる角まできた。


 角を曲がる。髪の毛が一房、ぴんと立った特長的な頭が見えた。北川だ。


 ふとレティシアの足が止まる。北川の傍に誰かいる。


 長い髪の毛をウェーブさせている美少女。美坂香里。


 北川と同じアカデミーに通っている少女だ。レティシアが知らない北川を知っている。


 何故かレティシアは身を隠した。その行動の理由は彼女自身よくわかっていない。


 こっそり覗き見ると二人は楽しそうに談笑している。


 心に芽生えていた棘がさらに堅く鋭く伸びた。


 ――嫌だ。すごく嫌だ。許せない。


 北川にほとんど非はないと冷静な部分が告げているのだが心の大部分を占める意見は逆だった。


 レティシアは階段の上に立つと彼の名を呼んだ。


「潤っ!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。











―― 前日 ベナリア王別邸 階段――



「潤っ!」


 と、自分の名前が大声で呼ばれ北川はびくっとなった。


 まるで親に悪戯が見つかってしまった子供のようにびくつきながら声のする方向を見上げた。


 レティシアが仁王立ちしていた。


 紫紺の瞳は嚇怒に燃え、口元は真一文字に結ばれている。


 ――なんだかしらないが、ヤバイ。


 北川が見たレティシアの表情の中で一番怒っていることが伝わる表情だった。


 レティシアはずんずんといった擬音が似合う動作で降りてくる。


 小柄なはずのレティシアがオーガのように巨大に感じた。


「な、何の御用でしょうか?」


 あまりの迫力に思わず敬語になってしまった北川。


 そんな北川をぎろりとレティシアが睨みつけた。


「陛下の護衛という重要な任にありながら、こんな所で遊んでいてよいのですか?」


 レティシアの言葉が持つ刺々しさは並ではない。まるで氷のつららが突き刺さってくるようだ。


「よくないです」


「では急いで戻りますよ」


 レティシアは北川の袖を引っ張るとくるりと踵を返した。北川は慌てて後を追う。

 今まで傍観していた香里が意味深なかおをして、


「頑張ってね、北川くん」


 と呟いた。


 レティシアの後を歩く北川。レティシアの後姿からは怒りのオーラが見える。


 北川には彼女がどうしてそこまで怒っているのか見当がつかない。


 放浪と戦いばかりの少年時代を送ってきた北川潤という男は、


 武器の扱いには長けていても女心を理解できるほどの機微は持ち合わせていないのだ。


 とりあえず謝っておいたほうがいいだろうという結論に達した。


「その……レティシア、悪かったよ」


 恐る恐る彼女の背中に言った。


 くるりとレティシアの身体が反転した。菫色の長い髪がふわりと揺れる。

 レティシアはまなじりが吊り上がった目で北川を見上げる。雪のように白い肌に赤みが差している。


 やはり相当怒っているようだ。


「貴方の職務怠慢を謝罪する相手は私ではなく主たる国王陛下でしょう」


「そりゃそうなんだけど……レティシア、なんかすごく怒っているじゃん。


 オレが悪いのかなーって思ってさ」


「私は全然、まったく、少しも、微塵も、塵ほども、怒っていませんよ」


 と、口元だけで微笑んだ。双眸は吊り上がったまま。


 目は口以上にものを語るとはよく言ったものだ。


「潤が悪いのはいつものことです。


 貴方は常に好き勝手なことを言って私の心をかき乱す。


 貴方の無計画な行動が私をどれだけ惑わすか知らないでしょう」


 思い当たることが多すぎて北川は曖昧に笑うことしかできなかった。


 北川はレティシアの言葉を「貴方のせいで私は迷惑しています」と受け取った。


「わりぃ」


 北川には謝ることしかできない。


「解れば……あっ」


 レティシアの身体が支えを失ったように崩れる。北川は咄嗟にレティシアの身体を抱きとめた。


 ――軽い。


 レティシアの身体はとても軽く、そして折れそうなほど華奢だった。


 彼女が吸血鬼であろうと、

 終末へ導く者エンドブリンカーであろうと、


 強い魔力をもっていようとも、


 女の子であることを北川は強く意識した。


 ――女は守るもんなんだよ。特に女の子はな。


 育ての親であり超えるべき目標たるドランはそう女について話していたのが記憶の底から蘇ってきた。


「おい、大丈夫か」


 軽く揺する。レティシアはぼんやり目を開ける。少し驚いたように目を見開いた。


 北川は少し安心した。


「あ……潤、す、すみません」


「どうしたんだ?」


「軽く眩暈がしただけです。大丈夫です。問題ありません」


「問題大有りだろ。いきなり倒れるなんて」


「少々魔力を使いすぎて疲れているだけです」


 さっきまでの強い口調と刺々しさは消え弱々しくレティシアは言った。


「血飲むか?」


 するとレティシアは逡巡するように、下を向いたり北川を見つめたりと視線を彷徨わせた。


「……遠慮しておきます。大丈夫、心配は不要です」


 レティシアはその後、唇だけ動かして「貴方の血は私を駄目にしてしまう」と呟いたが、


 北川にはよくわからなかった。


「その代わり……」


 レティシアは潤んだ瞳で上目遣いに北川を覗き込んだ。頬はさっきよりも赤い。


「もう少しだけこのままで……」


 そう言ってレティシアは北川に手を回しぎゅっと抱きしめてきた。


「本当に大丈夫か? 血飲まなくて」


 北川は口元にあるレティシアの耳に囁いた。


「はい。こうしていると、とても気持ちが安らぎます。


 潤の暖かさが伝わってくるような気がするんです。


 だから大丈夫です」


 ――……さっぱりわからねぇ。


 まるで山頂の天候のように僅かな時間で変化してしまうレティシアの気持ちを、


 北川はまったくといって理解できていなかったが、


 硝子細工を扱うようにそっとレティシアを抱きしめた。


 そんな二人の様子を蒼い瞳が見つめていたことに誰も気づかなかった。


 その視線の主は特にレティシアの様子を具に観察していた。









―― 前日 ロザンビュウム議事堂――



 議事堂の中心的役割を果たす議場は3階まで2階分の吹き抜けとなっている。


 議場の構造はいずれも、議長席と演壇を要として扇形に広がっている。


 爵位ごとに議席が配分されて座る形になっている。


 爵位が高い貴族、重要な役職についている貴族ほど議長席近く低い席に座ることになっている。


 逆に、爵位が低い貴族は議長席から遠く高い位置に座る。


 議会が開廷するまでまだ一刻以上も時間があるため議席はほとんど空席だ。


 議長席の背後のカーテン裏に国王が座る御席がある。


 御席の奥には国王が休むための部屋が用意されていた。


 北川とレティシアはその一番奥に国王の護衛として立っていた。


 本来の護衛として近衛兵が斧槍を掲げ部屋のドア付近に彫像のように佇立している。


 北川はガロウフィールドに無理矢理着せられた礼服を纏っている。


 レティシアは国王お付きの給仕としてこの場にいる。給仕用の服に着替えていた。


「レティシア、茶だ」


 ガロウフィールドが命令した。レティシアは完璧な仕草でお茶を入れ差し出した。実に手馴れている。


「どうぞ」


 ガロウフィールドは一口お茶を啜り頷いた。

「悪くないな。レティシア、これも暗殺のための技術スキルか?」


「はい。ターゲットが貴族などである場合、屋敷の人間に扮するために必要なことです」


 横にいる近衛兵がぎょっと驚いたような顔になったがすぐにもとの巌のような表情に戻った。


 二人があまりに自然に話しているので冗談だと思ったようだ。


 レティシアはティーセットが乗ったカートを押しながら部屋を出て行った。


 軽いノックの音。ドアの向こうの男はハーディンと名乗った。ドアが開き片眼鏡の男が入ってきた。


 ハーディンはガロウフィールドに紙の束を渡した。それらは今日の議会に関する資料のようだ。


 二言三言ガロウフィールドに耳打ちしたハーディンは、顔を上げ北川を見やった。


 その視線はあまり友好的とはいえない。疎ましく思われているようだ。


 ハーディンが出て行った。すれ違いにレティシアが戻ってくる。


 北川は完全に暇だった。何気なくレティシアを見る。彼女はいつもの無表情に戻っていた。


 一見、倒れる心配はないように見える。


 朝の様子を見る限りかなり疲弊しているようだがそれをおくびにも出さない。


 立派といえば立派なのだが、無理して倒れられるより休んで欲しいと北川は思った。


 ――もしくは血を吸って元気になってもらうか……


 もう一度、血を所望するか聞いてみようか。


 ――ってこれじゃまるでオレが血を吸われたがっているみたいじゃないか。


 ――でも待てよ。血を吸われるのは悪いことなのか?


 脳裏に浮かぶのは暗闇の中でレティシアが北川の指を舐める光景だった。


 ――あれは色々な意味でヤバイ。


 傷口を熱い舌が撫で回す感触は北川をどこか後ろめたい気持ちにさせる


 レティシアの吸血行為は北川に背徳的な気持ちを植え付けている。


 ――あーもう、駄目だ。変な考えばっかり浮かんでくる。


 北川は頭の中に思い浮かべた考えを打ち消すように頭を掻いた。


 気がつくとレティシアも北川を見つめていた。美しい紫紺の瞳が北川を見上げている。


 いつの間にか二人は意味もなく見つめ合っていた。


 お互いがお互いの心中を察することができない。しかし目は逸らせない。


 そんな見つめ合いだった。


「さてと、戦いの時間だ」


 意味不明な均衡は第三者の行動によって打ち破られた。


 ガロウフィールドが立ち上がり扉に向かって歩いている。


「戦い?」


 北川が聞いた。


「そう戦いだ。お前やグレイジャンが好む血沸き肉踊る戦いとは違う、


 醜くおぞましい権力という名の力を使った争い。


 剣を言葉に変え、相手を殺したいほど憎んでいても笑顔で接する人対人の戦いだよ」


 北川はガロウフィールドの言葉の意味がよくわからなかった。


 これから執り行われるのは議会であって戦闘ではないはずだ。


 ガロウフィールドは部屋を出て赤い絨毯の上を歩いていく。


 王が座るべき椅子に向かって。








 続く










 タイトルが思いつかなかったので、こうなりました。

 1は北川とレティシアが最初に出会った頃の話です。

 多分、3年くらい前に書いた話です。

 作中の時間は2、3ヶ月くらいしか進んでいないような気がします。<適当

 進展しているような、わけのわからない方向に進んでいるような気がする二人ですが、

 これからもよろしくお願いします。


2007-2/17 初版

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