髪を切ってくれたひと







0.

 教室の扉を開けたら、みんなの視線がわたしに集中した。
 みんな信じられないという顔で、わたしを見ている。わかっていたことだけど、視線が痛い。この注目の視線の原因をつくったヤツは意図的にそっぽを向いていたりする。
「どーしたの。麻美まみ、まさか失恋?」
 女の子が髪の毛を切るときは失恋のときと相場がきまっているのだろうか?
 わたしは首を振って言った。
「ううん。逆」
 由実ゆみは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「何があったの?」とか「どーして切っちゃったの」とか聞いてくる友達たちに、
「へん?」
 と聞いた。友達はみんな前々から練習して合わせていたかのように、首を振った。
 わたしは友人をかきわけて、さっきからそっぽを向いているソイツの席の横に立った。
 正直、朝会うのが恥ずかしかったけど、コイツのそんな態度を見ていたら恥ずかしさはどっかにいってしまった。
 たぶん、コイツは恥ずかしいのだろう。わたしの意地悪心がむくむくと首をもたげてきた。
「おはよう。近藤くん」
 とびっきりの笑顔でそう挨拶してやった。







1.

麻美まみの髪の毛って、長くて綺麗だよね」
「そ、そう?」
 小学校からそうだ。友達も、親も、親戚も、みんな私の髪の毛を褒める。
「どんなシャンプー使っているの?」
「植物物語だけど……」
「えーっ、それわたしも使ってるけど、ぜんぜん麻美まみみたいな髪にならないよ」
 そんなことをいわれても困る。わたしが植物物語を使っているのは事実だし、文句は植物物語に言って欲しい。
「それよりさ。今度の週末――」
 わたしは半ば強引に、話題を切り替えた。
 わたしは、自分の髪の毛が好きじゃない。





2.

 小さいころから髪の毛を伸ばしていた。両親が「麻美まみは髪の毛が綺麗だから」と言い、わたしもそれを素直に受け入れていた。髪の毛を切るのは先をそろえるくらい。わたしは、この鬱陶しい髪をばっさり切ったことは一度もない。
 小学校に上がってからも、みんなこの髪を褒めた。意地悪な男の子にひっぱられたりもした。
 でも、その頃はこの髪の毛が好きだった。お人形みたいといわれる髪が自慢だったこともあった。
 ふと、わたしは気づいてしまった。
 みんな髪の毛のことばかり見ている。
 髪の毛のことだけ、見てる。
 みんな、わたしを見てるの?
 そう思ったら無性に髪の毛を切りたくなった。綺麗な髪ではなくて“わたし”を見て欲しい。いつしかわたしは自分と長い髪の毛を別の物のように心の中で扱っていた。
 でも、わたしには髪の毛を切る勇気がなかった。もし、髪の毛を切ったわたしをみんなが見てくれなかったら、それはとても悲しくて怖いことだから。







3.

 近藤夏樹こんどうなつきは、わたしと同じ環境委員会という嫌な委員会No1に輝く委員会に入っている。二人ともじゃんけんに負けたのだ。
 初めての委員会のとき、近藤夏樹はわたしの顔をじっと見た後、
「ボブカットとか似合うかもな」
 なんてことをいきなり言った。
「え?」
 不意打ちだった。だってそうだろう。女の子にいきなりそんなことを言うヤツはそうはいない。
 そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。
 相手にとっては何気ない一言だったんだろうけど、わたしにとっては衝撃だった。
 髪が切りたいとわたしが言ったとき、親はこう言った。
「もったいないからやめなさい」
 髪型をファッション雑誌を見ながら検討していた友人に、「わたしは、どの髪型が似合うかな」と聞いたとき、
「今のままがいいと思うよ。切るのはもったいないよ、麻美まみ
 みんなそう言う。
 だけどコイツは、なんでいきなりみんなと逆のことを言うのだろう。
「あ、わりぃ、口に出てた。気にしないでくれ」
 近藤夏樹こんどうなつきはそれっきり、ほとんど口を利いてくれなかった。
 もともと寡黙なヤツで何を考えているかわからないやつだ。
 わたしはずっとコイツがどうして、「ボブカットが似合うかもな」なんてことを言ったのか、その理由が気になっていた。
 気になるにきまっている。
 近藤は静かなヤツで、相手から話してくることはほとんどなかった。わたしから話しかけないと。
 何か話題が……ない。何を話していいかわからない。
 やっぱり、わたしには勇気がなかった。






4.

 近藤夏樹こんどうなつきが床屋の息子だと聞いた。野球部のヤツが近藤に、「また頼むぜ。五分ガリな」と言ったときだった。
 友達の由美が、「近藤くん。家は、床屋さんなんだって」と。
 運動部の男の子に勇気を出して話を聞いたら、ときどき床屋の真似事をしてくれると教えてくれた。料金は坊主なら百円、微妙な注文がくると二百円〜三百円としっかり商売しているらしい。
「微妙な注文って、近藤くんって腕いいの?」
「ああ、プロレベルだな。もう十分親父の後が継げるぜアイツは」
 同じクラスの野球部の男の子は、刈りたての坊主頭を指差していった。坊主頭に腕もなにもないと思うけど……。
 多少、誇張が入っているとはいえ、たぶん腕はいいのだろう。
 わたしはますます近藤のことが気になっていた。





 勇気が欲しいと神様に祈った。
 ほんのちょっぴりでいいから。
 この一かけらのビーズくらいの大きさでいいから。
 神様、勇気をください。





5.

「それじゃ、各自、担当の場所に行ってください」
 環境委員会の仕事で、校庭端の花壇にパンジーを植えるらしい。わたしは委員会決め、ぐーを出してしまったことを痛切に後悔していた。環境委員会って、どうしてこんなに大変なことばかり押し付けられるのだろう。この前なんか、学校の美化運動とかいう活動があって、二時間ずーと、空き缶やビニール袋のゴミたちと格闘していた。
 ふぅ、とため息をついてわたしは自分の分のパンジーを持っていこうとする。昇降口前に並べられていたパンジーの花に視線を落とす。
 すると、わたしが担当するはずの、“裏口そばの花壇”のパンジーがなかった。
 「え、どうして」と思った。先に歩いていった近藤を見て、その疑問は吹き飛んだ。彼はわたしの分も運んでくれたのだ。わたしは急いで近藤の背中に追いつく。
「ごめんね。わたしの分まで」
「別にいいよ」
 これだけの会話で、わたしたちの言葉のキャッチボールは終わった。
 「別にいいよ」を受け取ったわたしが返すボールがなかったし、アイツがもう一回ボールを投げてくれるはずもなかった。
 裏口そばの花壇は小さく、わたしと近藤だけが担当者だった。
 放課後の空は、あかね色から赤紫に変わろうとしている。スコップを片手に小さく穴を掘り、そこにパンジーを植える。ミミズとか出てきたら最悪だなーと思いながら、あのうねうねを想像して鳥肌が立った。どうしてあんな不気味な生き物がいるんだろう。
 わたしはずっとそんなことを考えながら作業していた。当然、近藤との会話はない。
 作業が終わりに近づき、わたしは植えられたパンジーたちを見た。本当は一列に等間隔で並ぶはずだった花たちは、微妙に近づきすぎていたり、列から飛び出たりしていた。
 ふと、横を見ると近藤も微妙な乱れ具合を見せつける花壇を眺めていた。
 急に、わたしは二人きりということを意識した。
 言うならいましかない。そう思ったらきゅうに顔が熱くなった。普段は意識しない心臓の音がやけに高く響く。
 『ずっと聞きたいことがあるの。どうしてあのときあんなこと言ったの?』
 頭の中で何度も繰り返してきた言葉がリピートされる。
 わたしは今までかき集めていた勇気を振り絞って、
「ね、ねぇ、女の子の髪って切ったことある?」
わたしの、意気地なし。
 近藤夏樹は驚いたような顔で地面から顔を上げた。
「…………ある」
 少し間をおいて、言った。
 わたしはすぐ次の言葉を捜した。近藤はきっとこれだけで会話を終わらせるはずだ。
 このとき、わたしの心臓はバクバク。頭は熱くなって、必死に言葉を探していた。
「わたしの髪、切ってくれる?」
 何を言っているのだろう、わたしは。
 近藤は本気で驚いていた。
 わたしと近藤、二人はお互い固まったまま見詰め合っていた。
 たぶん一瞬だったんだと思うけど、わたしにとっては十分くらいに感じた。
 さっきからドキドキが止まらない。どうしてこうなったのかもわからない。
「……わかった」
 近藤が頷いた瞬間、波が引いていくように緊張がなくなっていった。










6.

「……ここは?」
「ハンドボール部の部室」
 電気をつけながら、近藤はいった。薄暗くなった部屋にチカチカッと古い蛍光灯の灯りがついた。
「ハンドボール部なんてあったっけ?」
「部員は4人。そのうち幽霊部員は4人」
「活動していないってわけね」
「そういうこと」
 本物の運動部の部室を見たことはないが、話によると地獄になっているらしい。
 汗臭いユニフォームがあちこちに散乱し、スナック菓子やペットボトルなどのゴミが散らかっているらしい。考えただけで恐ろしい。どうして放っておくことができるのか、その精神がイマイチ理解できない。
 少なくとも、この部屋みたいに、物がパイプイスしかないなんてことはないだろう。
 たぶん、学校には黙ってここを専用の“床屋”にしたんだろう。
「そこに座ってて」
 わたしは言われたとおりにパイプイスに座った。
 近藤はベルトみたいなヤツをして、そこに収められていたハサミを抜いて数回、ちょきちょき。
 西部劇のガンマンみたいにくるくる回して、またベルトに収めた。
 そのハサミは学校で使う文房具ではなく、料理人が使う包丁のように研ぎ澄まされたプロの道具だった。
 それを使う近藤の顔も、プロに見えた。
 わたしは大きい袋をかぶされ、テルテルボウズにされた。近藤は一度部屋から消え、水の入った霧吹きを手に戻ってきた。
 準備は整ったはず。たぶん。
 わたしは動けないし、近藤は何も言わなかった。
 わたしは、だんだんドキドキがイライラに変わってきた。なににイライラしているのか自分でもわからなかった。
「……どうする?」
 ようやくアイツが聞いてきた。
「任せる」
「え?」
「近藤くんに任せる」
「じゃあ、先をそろえる感じでいい?」
「ダメ」
 即答した。それじゃあ何も変われない。わたしは自分を変えて欲しい。自分じゃあできないから、近藤に。
 また沈黙の空気が降りた。
 ダメって言われたのにアイツはなにも言い返してこなかった。
「……どうしたの?」
 わたしは首だけを振り返って言った。
 すると、アイツは恥ずかしそうに頬をかきながら、
「どうしていいかわからない」
 言うの遅い。
「……ボブカットにして」
「どうして?」
「それ、わたしのセリフ。どうしてあのときあんなこと言ったの」
 近藤は初めはなんのことだか、と首をかしげていたけど、やがて合点がいったようだ。
「……藤村は輪郭のラインが綺麗だから、似合うだろうなって思った」
 視線をそらしながら言った。
 わたしの顔がかぁって熱くなっていく。コイツは、なんてことを言うのだろう。
「……切って」
「いいのか? せっかく伸ばした髪なのに」
 カチンときた。コイツまでこんなこと言うなんて。
「いいから、早く切ってよ。嫌いなの、自分の髪」
 心の中から、いろいろなことが湧き上がってきて、言葉としてあふれ出た。
「髪が綺麗、髪が綺麗って髪のことばかり、みんな――」
 そこからは、自分でも何を言っているかわからないほど饒舌だった。
 言わなくてもいいことをぶちまけていた。
 我に返ったとき、わたしは涙を拭われていた。近藤がハンカチで丁寧に目元を拭っていた。
 もう、最悪だ。
 何をしているのだろうわたしは、いきなり髪を切ってといい、わけのわからないことをしゃべり、しかも泣いているなんて。
 シュッと霧が吹きかけられ、さっと櫛がわたしの髪をいた。
 ざく。ぱらり。
 長い髪が床に敷いた新聞紙の上に落ちた。
 ざくざくざくざく。ぱらりぱらりぱらりぱらり。
 しばらくして、アイツが言った。
「……妹の髪より固い」
「妹がいるの?」
「いつも、俺が切っている」
 しゃべりながらも手は休まらない。小気味いいハサミの音が耳の後ろの辺りで聞こえる。
「ふぅん」
「健康的な髪の毛だと思う。手入れもしっかりしている」
「…………」
「自分の髪の毛を嫌いだなんて言うなよ」
「…………急に、しゃべるようになったね」
「職業柄ね」
 ぷっとわたしは吹き出した。
「オヤジ臭い」
「よく言われる」
 近藤の声は、今まで聞いたことがないくらい明るい声だった。
 それからわたしたちは他愛もないおしゃべりで盛り上がった。
 近藤の手は一度も止まることはなかった。
「……どう?」
 鏡を見せながら、アイツは言った。
 鏡の中には、顎のラインでばっさりと切りそろえられた女の子が映っていた。
「ありがと」
 生まれ変わった気がした。
「ねぇ、近藤くん。これからもお願いしていいかな?」
 近藤は不思議そうな顔でわたしを見返した。
「髪の毛を切ってってこと」
 何も言わないまま、こくっ、と近藤の頭が上下に動いた。







0.

「……おはよう」
 わたしは近藤夏樹の横を抜け、自分の席に着席した。
 後ろから、わたしの髪の毛を切った男の子を見た。
 秘密を共有している。不思議な関係になってしまった男の子は、わたしの方を一度も見ようとしなかった。
「……馬鹿」
 わたしは小さくつぶやいた。
 するとわたしのつぶやきが聞こえたのか、近藤は振り向いた。
 わたしは、またとびっきりの笑顔を送ってあげた。
 近藤は、ほんの少しだけ笑顔になった。






<了>






2005/4/28 初版

・あとがき

「髪を切ってくれた人」をお読みいただき、ありがとうございます。
 自分は男なので、女の子の気持ちはわかりません。ですが、わからないなりに書いてみました。
 以前、Web拍手画面に掲載していた話をちょっぴり修正して、Web小説の形に整えました。



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