「あのぉ、上田先輩、ちょっとよろしいですか?」
俺の名前は上田勝利。空手部の主将を務めている。
自分で言うのもなんだが、俺は女にモテない。幼少の頃から空手に生きていた俺は、男らしさに溢れていると自負している。女たちはその魅力に気がついていなかった。今までは。
だが、ついに俺の魅力に気づいた女の子が現れたらしい。時代がようやく俺に向いてきた。
目の前にいるのは後輩である石川秋菜の友人。名前は確か……何だったろうか?
秋菜と仲の良いこの女の子はたびたび空手部に訪れてくる。空手部の有望株である秋菜とは対照的に小動物的な可愛さの容姿をしている。くりくりとした大きい瞳。軽くウェーブがかかった髪の毛からは馨しいシャンプーの香りがする。
軽く頬を朱色に染めながら上目遣いに俺を覗き込んでくる。
俺は既知感を感じた。
そうだ。この顔は、妹の少女漫画によく出てくる“勇気を出して告白しちゃうぞ”の表情だ。俺は妹の少女漫画をちょこっと借りて読んでいる。特に興味があるわけではない。ただの暇つぶしだ。
来た!
ついに俺にも春が来たのだ。
感動の電撃が脳天から爪先まで駆け巡った。
「先輩?」
少々、舌ったらずな喋り方をする後輩はちょこんと小首を傾げた。
可愛い。
不用意にその仕草を見てしまった男は庇護欲に心を燃やすだろう。
護ってやりたい、と。
「大丈夫ですかぁ? なんか、宇宙の果てに行ったパンダを眺めるような視線をしていましたけど」
「ぜ、全然、大丈夫だ。大丈夫、過ぎて困るくらいだ」
駄目だ。言葉が上手く出てこない。俺の意味不明な言葉を受けて、彼女は再び首を傾げた。
可愛らしいって、素晴らしいな。
「えっと……お昼休み、体育館裏と道場の間。そこに、来てもらいたいんですけど……」
この懇願の眼差しを受けて断れる男がいるのだろうか? 否、いない!
思わず苦手な漢文の反語表現を使ってしまうほど、彼女の仕草は俺のハートに直撃した。
「押忍!」
思わず飛び出してしまった気合の言葉。
彼女はちょっとビックリしながらも、
「オッスっ。それじゃぁ先輩、ちゃんと来てくださいよ」
念を押してから、くるりと身体を回転させ、遠ざかっていった。
そういえば、彼女の名前が思い出せていない。
俺は体育館へ向かう途中、何度も立ち止まった。
ふふふ、足が震えてやがるぜ。空手の試合でもこんなに緊張したことはない。
体育館への途中にある道場の前に差し掛かり、俺は足を止めた。
道場に掛かっている「心・技・体」の看板に向かい。気合を入れる。
「押忍!」
何を怖れる必要がある。俺は「告白」を受ける立場にあるのだ。
体育館の角を曲がった先に彼女の姿があった。
俺を見て、ぱぁと笑顔が広がった。
「先輩、来てくれたんですね」
「あ、ああ」
クソ! 声が上ずっていやがる。男は度胸だろ。肝を据えろ、俺。
「あのぉ……」
彼女はそわそわした様子で切り出した。
俺の緊張が最高潮に高まる。
「先輩、隙ですっ!!」
その声は、俺の後方から。
俺は咄嗟に振り返ってしまった。格闘家の反応としては最悪である。まさに愚の骨頂。
俺の視界には既に躱すのが不可能な蹴りと、優雅に翻ったスカートが見えた。しっかりスパッツを穿いているのが彼女らしい。
スレンダーな脚が旋回し、俺の顔を強かに打ちつけた。こんな蹴りを放つ女の子を俺は一人しか知らない。
「ふごぉ!」
身体が倒れ込むが、受身をとり、衝撃を最小限に抑えた。
「やったぁ! 一本、それまでー」
痛打された頬を手の平で覆いながら顔を上げる。見事な回し蹴りを放った女生徒――秋菜がぴょんぴょん跳ねて喜んでいた。
「やったね。秋ちゃん」
隣では、同じように秋菜の親友がはしゃいでいた。
「こ、これは一体?」
「それじゃあ。あたしは行くね。がんばっ!! 秋ちゃん」
とてとてと去っていく秋菜の親友。
俺には何が何だかさっぱり理解できない。なんだこの状況は?
「先輩、大丈夫ですか?」
お前がやったんだろ。
秋菜は部活のときは一つにまとめている髪を下ろしていた。髪型がちょっと違うだけでどうしてこうも印象が変わるのだろう。
改めて見てみると、どうしてなかなか女の子らしいじゃないか。溌剌とした元気娘の意外な一面を見た気がした。目尻がほんのりと朱みかかった特徴のある瞳で、心配そうに俺を覗き込んでいる。
だが、外見がどうであれコイツは脚の甲で俺の顔面を蹴り飛ばした人物だ。
俺は立ち上がり、低い声で言った。
「秋菜。これはなんのドッキリだ?」
「先輩は顔面攻撃のない今日の空手は軟弱だって言っていましたよね」
「言った」
実戦空手を叩き込まれてきた俺には高空連のルールは軟弱だと常々思っている。
「ということは、さっきの攻撃は一本ですよね」
秋菜はにこにこ笑っているが目は真剣だった。
「そうだが……。いきなり俺の顔面を蹴り飛ばすとはどういう了見だ?」
相手が男であったのなら問答無用でぶっ飛ばすのだが、攻撃者は女の子。それも部活の後輩と来たもんだ。正直、俺は対応に困っていた。秋菜は真面目な後輩で、冗談でこういうことをする女の子ではないのだ。
秋菜はにっこりと笑って続ける。
「先輩、いつでもかかって来いって言ってましたよね」
言った。むしろ、それは俺の口癖になっていた。
俺は小さく頷く。
「先輩、一本取ったらわたしの言うことなんでも聞いてくれるって言っていましたよね」
そういえばちょっと前の乱取りの際、部活で昂ぶった勢いでそんなことを言った気がする。
あれから秋菜は一層、真剣に俺に向かってくるようになった。秋菜が俺から一本を取ることはなかったが、気合の入った秋菜の姿勢を見て好感を覚えた。
「たぶん……言った、ような気がする」
「ハッキリしてください、先輩っ! 重要な部分なんですから」
ズイっ、と問い詰めてくる。この場の主導権は完全に秋菜の手にあった。
「ああ、言ったとも」
俺は開き直って言った。
「わたしのお願い。聞いてくれますか?」
そうか、ようやく状況が飲み込めた。
「なんだ? 部室を綺麗に片付けるっていうのはなしだ。あの汚さは我が部の伝統だからな」
女子部員が秋菜しかいないのはきっとこれが原因だろう。秋菜は事あるごとに、部室の清掃を要求してくる。ちなみに秋菜は部室ではなく女子トイレで着替えているらしい。
「違いますっ!!」
瞬時に返事が返ってきた。
「なら、なんだ?」
すると秋菜は急にしおらしくなった。先ほどまどの勢いがなくなり、顔をうつむかせた。心なしか頬が赤いような気がする。
一瞬の間。空手の試合で相手との間合いを計るような刹那の時間。
そして、秋菜は意を決したよう顔を上げ、口を開いた。
「先輩、好きですっ!! わたしと付き合ってください」
<了>