雨記念日 ―初めての雨―









 1、


 今日はちょっと特別な日だ。
 今日は雨が降るらしい。
 実に十三年ぶりの出来事になるらしい。僕の年齢は十三歳。つまり、ここら辺に住んでいる僕以下の歳の子供たちにとって、初めての雨になるようだ。
 雨……それは空から水滴が降ってくる現象のことだ。映像で何回か見たことがある。
 白いはずの雲がくすんだ灰色に変わり、日中なのに薄暗く、そしてザァァァと水の滴が空から降ってくる。不思議な光景だと思った。
 気象コントロールシステムが完成したのは今から30年前。このことは現代科学の学習クレディトで勉強した。
 気象コントロールシステムのおかげで僕たちは、穏やかな気候を手に入れた。人間が住む居住地区は一年中、暑くもなく寒くもない丁度良い温度、丁度良い湿度に保たれている。
 農耕地区では周期的に雨が降ったりするらしいが、僕は農耕地区に行ったことはない。
 気象コントロールシステムによって失ったものもいくつかあようだ。
 まずは季節。僕たちの国はずっと昔、春、夏、秋、冬。という四つの季節というものを持っていたらしい。
 僕たちが住んでいる場所の気候は春に設定されているみたいだ。僕は夏と冬を体験したことがある。
 シーレジャーランドとスノーランドに遊びに行ったことがあるからだ。そこは一年中、シーレジャーランドは一年中夏、スノーランドは一年中冬だ。季節が変わらない。これも気象コントロールシステムの賜物といえる。
 今日はコミュニケーション・クレディトのためにスクールに行く日だった。一週間に一度あるこのコミュニケーション・クレディトは僕の楽しみの一つだ。昔の子供たちは月曜日から金曜日までスクールに通っていたそうだ。羨ましいことだと僕は思う。。
 学習のほとんどは自宅のコンピュータで受けることができる。でも電子接触デジタルアクセスだけの学習だと、現実接触リアルアクセスのとき色々弊害がでるかららしい。
「はい。せっちゃん」
 僕が携帯端末に立体型記憶素子メモリーキューブを差し込んでいると、母さんが“お弁当”を差し出してきた。これがコミュニケーション・クレディトが楽しい理由の一つだ。
「あとこれ」
 と、渡されたのはナイロン製の筒だった。
「何これ?」
「傘よ。折りたたみ傘」
母さんはにっこりと微笑んで言った。
「カサって……」
 僕は自分の記憶からその単語の意味を引っ張り出す。ニュースで確か聞いたことがあるような、ないような。
「雨の日に使う道具よ」
 悩む僕を見かねたらしく、母さんはカサの意味をさらりと言った。
 そうだ。カサは雨の日にさして雨を防ぐための道具だ。
「気象コントロールセンターの話によると午後三時から二時間、雨を降らす、、、ようよ。丁度、帰ってくる時間でしょう」
 その通りだ。さすが母さん、準備がしっかりしている。
「そうだね」
 そのとき、
 ぴんぼ〜ん♪
 と、のほほんとしたデジタル音が玄関から聞こえてきた。僕は携帯端末の画面に表示された時計を確認した。もう魅亜乃みあのが来る時間だったのか。雨に気をとられすぎていた。
「みーちゃんが迎えに来たのね」
 僕の母さんはちゃん付けが好きだ。僕は結構前から「せっちゃんと呼ぶのは止めてくれ」と頼んだのだけれど、まったく聞き入れてくれない。今はほとんど諦めかけている。僕の本当の名前は聖司だ。
「それじゃあ、行ってくる」
「はいはい。いってらっしゃい」
 手を振る母さんを背に僕は扉の開閉ボタンを押した。
「せっちゃん。おはよ〜」
 お気楽で間延びした声で挨拶してきたのは――コミュニケーション・クレディトが楽しい最大の理由である――隣に住んでいる山木やまき魅亜乃みあのだ。
「おはよ。魅亜乃」
 魅亜乃とは小さい頃からずっと一緒だ。幼馴染という関係になる。魅亜乃は小さい。そして細い。少し茶色かかった髪の毛でとても色が白い。全体的に色素が薄いのだろう。くりくりとよく動く瞳が可愛らしいと思う。
 僕たちは同い年なんだけど、なんだか兄妹のような関係かもしれないと最近よく思う。僕に兄妹はいないけど、魅亜乃を見守っていたいという気持ちになるのだ。僕は変なんだろうか。
「モンちゃんも、おはよーだって」
 魅亜乃が自分の携帯端末のディスプレを僕に向けた。コバルトブルーの画面の中に、滑稽な姿をしているCGが描かれている。そいつがちょこんと頭を下げた。魅亜乃のデジペットのモンちゃんだ。
 名前の由来はそのデジペットがシーモンキーをモチーフにしていることに由来している。生物図鑑で確認したけど、エビの幼虫みたいなシーモンキーのどこをどういじったらこなるのか不思議で仕方ない。
「おはよう」
 僕は手を軽く上げてデジタルペットに挨拶をした。
 魅亜乃はほんわか笑って、携帯端末を閉じた。
 僕たちの家からスクールまでの道のりは徒歩で駅まで行き、そこからリニアレールで一駅、そしてそこからまた歩くという合計40分の道のりだ。
 この時間が僕は結構好きだ。外を歩くことも嫌いじゃないけど、やっぱり隣に魅亜乃がいることが大きい。
 魅亜乃は僕をちょこちょこと歩いている。一つ一つの仕草が可愛らしい。僕はきっとこの女の子にやられているに違いない。
「ねぇねぇ。せっちゃん。今日、雨が降るんだって。知ってた?」
 魅亜乃は目を輝かせて言った。
「もちろん」
「今日は雨記念日だね」
 生まれて初めて雨が降る日――雨記念日。悪くないな、と僕は思った。




 2、

 僕はIDと氏名を告げた。
 『木村聖司 認証しました』と扉の脇にある操作盤コンソールパネルのマイクからデジタル調整された音声が発せられた。
 大昔の童話に『開けゴマ』と言うと開く扉があったそうだ。現代では、自分のIDが『開けゴマ』になっている。僕が名前を言うのはなんとなくだ。番号より名前で区別し欲しい。そんな思いからだ。
 扉を入ってすぐ目の前には衝立ついたてがある。その衝立には「心を開いて、明るい未来へ」という標語が書いてあった。僕は衝立をぐるりと回り込んだ。
 そこは白と水色を基調とした爽やかな部屋だ。シンプルな椅子とテーブルがある。向かいには小栗おぐり先生が座っていた。
「こんにちは聖司くん」
「こんにちは小栗先生」
 この人は、僕たちの児童心療コミュニケーション……なんたらかんとかというものすごく長ったらしい仕事についている人だ。
  白衣を着た柔和な顔つきをしている。歳は僕の予想だと三十代前半だろう。以前、聞いたことがあるけど笑って上手くはぐらかされてしまった。
 このクレディトの目的はは自分の近況報告をするということらしい。ようするに小栗先生とおしゃべりをしろってことだ。
 小栗先生は温和な性格で、色々なことを知っている人だ。僕はこの先生と話すことが結構好きだ。
 先生は、手元の空中ディスプレに表示されている文字を読みながら、うんうんと頷いていた。
「学習クレディトの方は順調に進んでいるみたいだね」
「はい。いつも通りです」
「最近の学習クレディトで面白かった題目トピックスとかあるかな?」
「ええと……」
 何が面白かっただろう。地球環境なんか結構、楽しかったかも。コンピュータ上で行われたシミュレーションがリアルでよかった。僕はそのことを話した。
「そのクレディトは確か二十世紀〜二十一世紀にかけての地球環境の変移のことを勉強するクレディトだったね」
「はい。ようやく地球環境を考慮に入れて産業が動き出した時期です」
 小栗先生が空中に浮かんでいる板状ホログラムにタッチした。
「問題なし、と。すなないね。いつも同じようなことを聞いて」
 先生はこうやって生徒の生活状態、学習進度、精神状態などを調べ、調書にまとめないといけないらしい。
「いつもの質問になるけど――」
「家の方にも特に問題はありません」
 僕は先生の質問に先回りして答えた。先生は微苦笑して肩をすくめた。
「先週は父親の帰りがいつもより遅いって言っていたけど、今週はどうかな?」
 問題ない、と聞いただけでは先生の質問は終わらない。それだと嘘をつく生徒がいるからだ。だから先生は同じ話題について深く訊ねてくる。結構、プライベートなことを話す事になるけど『守秘義務』というのがあるらしくそれが外部に漏れることはない。
 僕としては先生とおしゃべりすることは楽しいのでクレディトの一環でなくてもこの時間を過ごしたいと思っている。
「仕事のプロジェクトが一つ片付いたって言ってました。昨日は早く帰ってきて外食に行きました」
「差し支えなければ、どこに食べに行ったか教えてくれないか?」
「……『魚丸』っていうところです」
「いいね。あそこは天然モノしかださないちょっと高級なお店だ。僕は一回しか行ったことがないよ」
「僕は昨日が初めてでした。天然モノ……人工モノとの違いがよくわかりませんでした」
 僕は昨夜食べた天然モノの刺身の味を思い浮かべた。母さんがスーパーで買ってくる人工モノの刺身と何が違うのか、僕にはよくわからなかった。
「ははは、最近の人工食物はよく出来ているからね。成分は本物と一緒だから、味にもたいした違いはないのかもしれない」
 先生は「家庭も問題なし」と呟きながらホログラムパネルを操作した。
 続いて、「コミュニケーション・クレディトの感想」「最近、嫌なことはあったか」と質問が続いた。僕は正直に答えた。
「さて、これで一応、仕事は終わり」
 先生はにっこりと笑ってホログラムパネルを消した。ここからはフリータイムだ。学習クレディトも何も関係ない先生とのおしゃべりの時間だ。
「先生、今日は雨記念日なんですよ」
 僕は言った。朝、魅亜乃と話したことを先生にも話した。
「……そうか、君たちにとっては初めての雨になるのか」
 僕は魅亜乃がとても楽しみにしていること、僕もちょっと楽しみなだということを言った。先生は苦笑のような表情を浮かべた。
「んー、雨はあんまり楽しいものじゃないよ。どちらかというと憂鬱な気分になるものさ」
「どうしてですか?」
 僕は意外だった。空から水滴が降って来ることは憂鬱なのだろうか。
「まず太陽が出ていないというのは薄暗いね。それから雨が降っていると野外活動が制限される。服が濡れると不快な気分になるし……農耕地区ならともかく、都市部ではあまり雨は歓迎されないね」
 だから、気象コントロールシステムによって雨が消えたんだからね、と先生は言った。
 そうか、雨は歓迎されていることじゃなかったんだ。僕はちょっと残念な気持ちになった。
「でも、まぁ……今日、雨が降るのはきっと恋しくなったからだろうね」
「え?」
「大気中の汚れを洗い流すとか気象庁は言っているけど、空気清浄システムが完成している今、空気中にどれだけの汚れがあると思う? ほとんどないよ。今日雨が降るのはそんな理由じゃないってことさ。もっとワガママな理由だと思うよ。偉い人の誰かが見たくなったんだろうね。雨を」
 先生は振り向いて窓の外に視線を投げた。いつものように澄み渡っている空、ところどころ白い雲が浮かんでいる。




 3、

 クラス担当者がぼそぼそ、といつもと変わらない挨拶を言っている。その歳をとったの先生はふと、思い出したように言った。
「今日は雨が降ります。雨が降っている間はなるべく外に出ないようにしてください。午後五時には止むそうです。それまでスクールの施設は開放してあるので、時間までスクールにいたほうが良いでしょう」
 よたよた、とクラス担当者が教室から出て行き、コミュニケーション・クレディトが終了した。
 僕は携帯端末で今の時刻を確認した。午後二時半だった。
 教室にいる20名全員と顔を合わすのは、また一週間後だ。そのうち何人かは月曜日に会えるだろう。僕は月曜日に学校ででしか受けられないカリキュラム――身体運動を受講している。
「聖司、これから第二体育館でバスケしようぜ」
 同じ身体運動の仲間の1人――達也たつやが僕に声をかけてきた。後ろには何人か友達が並んでいる。どうやら彼らは運動をして雨が降っている間の時間を潰すらしい。
「あ、うーん……」
 僕は迷っていた。体育館でバスケをするのは楽しい。でも、今日はせっかく雨が降るんだから、ちょっと特別な日なのだから――
「せっちゃん。一緒に帰ろうよ」
 いつの間にか魅亜乃が僕の席の横にいた。手に鞄を下げてニコニコしている。
 達也はニヤっと笑うと、バシバシと僕の背中を叩いた。
「夫婦水入らずの所を邪魔したな。せっちゃん、、、、、
 他の友達たちも、達也と同じような顔をしている。「よっ、アツアツだね」とか、言いながら彼らは教室を出て行った。
 いつものことだけどやっぱり恥ずかしい。魅亜乃なんか顔を真っ赤にして俯いている。こうなることを予想できなかったんだろうか。
「ご、ごめんね。せっ……聖司くん」
「……もういいよ」
 スクールでは「聖司くん」と呼ぶことになっていた。理由はもちろん恥ずかしいからだ。僕が。
 いまさら遅い、と思う。魅亜乃は結構この約束を破る、というか忘れている。そのくせ、いつもトマトのように真っ赤になってしまうのだ。
 けれど……恥ずかしさより嬉しさが勝ってしまっている今の僕は、相当重症なんだろうと思う。ああくそ、可愛いな、魅亜乃。
「魅亜乃、これから雨が降るよ。まだスクールにいた方がいいって、先生も言ってたじゃん」
 友達の言葉に、魅亜乃は首を振った。
「雨が降るから帰るんだよ。ね、せっちゃん」
 僕から許可をもらった魅亜乃は何の遠慮もなく「せっちゃん」と呼んだ。
 残っていたクラスメイトたちの視線が僕に集中する。
 そうです。その通りです。朝、僕が傘を持っていることを話したらそうなったんですよ。目をキラキラさせている魅亜乃の頼みを断れますか? 皆さん。ちなみに僕は無理でした。
 僕は心の中で言い訳をした。
 僕が頷くと魅亜乃はぱぁと顔を輝かせた。
「そういうことだから」
 僕はそさくさと教室を後にした。後ろにちょこちょこと魅亜乃がついてくる。
 魅亜乃が横に並んで、僕を上目遣いに見上げた。
「楽しみだね。雨」
 僕は「そうだね」と答えた。






 4、

「なんだか、淋しいね」
 いつもは人通りが多い道はガランとしていた。よく考えれば街の人はみんな今日のこの時間に雨が振ることを知っているわけで、好き好んで濡れる人はそんなに多くないはずだ。
 空がだんだんと暗くなり、ネズミ色の見たこともない雲に覆われた。
 僕は先生が言ったことをなんとなく理解した。空がこんなに低く落ちてきそうになると、そりゃ憂鬱になると思った。
 街は眠ってしまったように活気がない。まるで僕たち二人しかいない世界のようだ。僕たちはいつの間にか、薄暗い変な世界に迷い込んでしまったのではないか。そんなことを想像して僕は暗い気持ちになった。
 足早に喫茶店に入っていく大人の人を見て、世界は僕たちだけじゃないと確認できた・
 魅亜乃は変わらずにこにことしている。
 と、魅亜乃が立ち止まり上を見た。
「すごぉい、なんだか空が低いよ」
 そして片腕を伸ばす。僕もつられて空を仰いだ。
「もう少しで雲がつかめそう」
 魅亜乃は背伸びし、そしてぴょんぴょん跳ねた。現実に考えたら雲ははるか上空にあるのだ。掴めるはずがない。
 そんなことは魅亜乃だって知っているはずだ。彼女は僕より学習が進んでいる。魅亜乃は頭がいい……のだと思う。頭の回転は速いんだけどちょっとドジというか、どこか抜けている。そんな不思議な女の子だった。魅亜乃なら空のずっと上のほうに雲があることくらい知っているはずだ。
 なのに、僕の隣にいる女の子はぴょんぴょんと一生懸命跳ねていた。いつの間にか僕も雲が掴めそうな気になっていた。
 今日は雨が降る日。今日は空が低い日。今日はちょっとだけ特別な日。なんだかできそうな気がした。
「あ」
「あぅ」
 ポツン、と冷たい何かが鼻の頭に落ちた。どうやら魅亜乃も同じヤツをくらったみたいだ。
 それを皮切りにポツンポツンと雫が僕の顔にあたった。雫の量は次第に増え、透明な何かが空から降ってくるのが見えるようになった。
 今にも落ちてきそうな空から落ちてきた水滴――それが雨だった。
 街が雨の幕を下ろされて、ぼんやりと霞んでいるように見えた。
「これが……雨、なんだ」
 魅亜乃は両手を広げくるくると回った。
 僕はどうして魅亜乃がそんなに楽しそうにしているのかよくわからない。
 くるくると回るのをやめた魅亜乃は言った。
「ちょっと……冷たいね」
 濡れた前髪を額に貼り付けて、しとしとと振る雨に打たれていた。僕が映像で見た激しい雨とは違う。ゆったりとした雨だった。
 僕はようやく傘の存在に気が付いた。僕が母さんから受け取ったのは傘の中でも折りたたみ傘と呼ばれるものらしい。僕は折りたたみ傘を広げた。それは半球に取っ手をつけたものだった。
 ちょいちょい。
 おいでという風に手を動かすと、魅亜乃が僕の隣にやってきた。傘は二人ギリギリ二人入れる大きさだった。大人だったら二人は無理だろう。僕の腕にくっつく距離に、幼馴染がいた。
 スクールの制服が濡れて、魅亜乃の身体に張り付いていて、その……透けていた。
 僕は慌てて目を逸らしたけど、その大袈裟な動作がいけなかったみたいで、見事に気取られていた。
「せっちゃんの……えっち」
「ご、ごめん」
「でも、せっちゃんだから……」
 魅亜乃は顔を紅くして俯く。
 雨が傘と道路に当たる音に包まれた。車が脇を通った。シャァァと通ったときの音が新鮮だった。
 せっちゃんだから……その先はなんなんだろう。小さい頃いっしょにお風呂を入った仲だから? それとも――。
「こ、この傘って道具は、すっごく昔から全然変わっていないんだ。知ってた?」
 僕は気恥ずかしさを隠すように先生から聞いた傘の話を始めた。
「…………すっごく昔って、いつくらい?」
 はにかみがちに魅亜乃が僕を見上げる。思わず心臓がどきんと高鳴った。
「一番古いのは四世紀くらい」
「うわぁ。すっごく古いね」
「そう、すっごく古いんだけど、この傘ってヤツはほとんど変わらずにずーと使い続けられてきたんだ。機能自体は最新のヤツもずっと古いやつも変わらない。ただ雨をこうやって防ぐだけだ。人類が進歩して、月に行くようになって、世界中をネットワークで繋いでも、雨を防ぐ道具はずっと傘だったんだよ。それってなんだかスゴイと思わない?」
「そうだね。よくわからないけど、なんとなくスゴイと思うよ」
 全部、小栗先生の受け売りだけどね。と僕は補足した。
 すると、魅亜乃はくすくすと笑いながら「そうだったんだ。せっちゃん、物知りだなって感心したんだよ」と言った。
 魅亜乃は傘から手を出し、手の平で雨粒を受け止めた。
「雨って、もっと特別なものだと思ってた」
 幼馴染は赤みがまだ引いていない頬のまま、ちらりと僕の顔を覗き込むようにして見てきた。
「わたしが見た映像だと、雨が降るとみんな笑顔でくるくる回って喜んでた」
「それ、どこの映像?」
「昔の……砂漠地帯の、だったかな。すごく嬉しそうだった。わたしも真似してみたんだけど、あんまり楽しくなかった」
 魅亜乃は小首を傾げて答えた。今日の魅亜乃のはしゃぎっぷりはその映像に感化されたからなんだろう。
「ちょっと……残念かな」
 と、魅亜乃は呟いた。言葉通り残念そうな顔をしている。彼女が期待していたほど雨は特別なものではなかったからだろう。
 僕も雨が特別なものだと思えない。雪の方がよほどすごいと思う。でも――
「僕は、特別じゃないけどなんかいいと思うよ。雨」
 僕は雨が降る街並を眺めた。
 雨で濡れる町。ちょっと不思議で、なんだか別の街みたい、そのくせ――どこか懐かしい。
 喫茶店のガラスの向こう側から外をぼんやりと眺めている人がいっぱいいた。
 オフィスビルのガラスの向こうで窓を見上げる人たちを僕は見つけた。
 みんな雨を見ている。
 空から降ってくる滴を見ている。
 僕はいつの間にか足を止めて、雨に見入っていた。
「せっちゃんの言うとおりかも」
 魅亜乃が言った。
 僕たちはぼんやりと雨を眺めていた。雨を降らせようとした人の気持ちがなんとなくわかった。
 よくわからない曖昧な何かが、雨にはあるような気がする。
 雨は空と大地を繋ぎ、曖昧にする。
 雨は太陽を隠し、色彩を曖昧にする。
「あ……もう一つ雨のいいところ見つけたよ」
「ん?」
 魅亜乃は顔を赤くしながら言った。
「傘の中だと、せっちゃんにくっついていられる」
 うん。それはすごくいいことだ。
 雨記念日。ちょっとだけ特別な日。
 僕と魅亜乃はゆっくりと歩き出した。





<了>








2005/6/29 初版


・あとがき

 『雨』をテーマにして書こうと思いました。これは重要なことです。こんぺに作品を出すには必須の技術だと思います。
 いつかこんぺに出たい。と思っている自分としては、避けては通れない道です。今のうちに練習しておこう。自分はそう心に決めて執筆にとりかかりました。
 以前、日記に書いたことですけど、自分はとても縛りに弱いのです。テーマに添って何かを書くということは苦手なことでした。今回、テーマを自分で設定して書いてみたのですがやはり難しかったです。
 『雨』に特に思い入れがなかったのです。「雨……洗濯物が乾かねーな」くらいしか思わない絶望的な自分の感性では、雨に喜びや悲しみなどの感情を想起させるのはとても難しいことでした。
 自分の感性を総動員して雨を捉えた結果、自分の中では憂鬱さや悲しみなどより曖昧さを強く感じました。
 そういうわけでこの話はとっても曖昧です。設定も曖昧ならば、登場人物の関係も曖昧です。作者も曖昧ならば、もうなんでも曖昧で、設定は嘘っぱち、曖昧さと作者のダメさ加減を読者の方に伝えることにかけてはなかなか上手くできたと思います。自画自賛です。
 とても大きな問題は、果たして曖昧なこの話は「面白い」のか、という点です。
 自分で言うのもなんなんですが、なんかびみょー。いやいや、本人は結構面白いと思って書いたのですが、さて客観的な視点に立つと「うーん、面白い?」と疑問符が後にくっつくような曖昧な話になってしまいました。修行が足りませんね。精進に励みたいと思います。






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