悪意とお友達







 1、

 「あのぉ……言いにくいことなんだけど」
 電話の先でリエコが声をトーンを落として言った。ディスプレに映っているリエコは少し眉を曇らせている。
 そう彼女が切り出したのは大学の授業の話題と駅前のショッピングビルの話の後だった。わたしはちらりと時計に目をやった。可愛らしいウサギが抱えている時計の短針は真上を指そうとしていた。もう、2時間程度おしゃべりに費やしていた。
 パソコンとインターネットを使ったテレビ電話がある。IPうんたらかんたらとかいうヤツで、電話代がかからない。インターネットさえ使えれば電話し放題なのだ。
 わたしが通う大学はエスカレーター式だ。わたしは高等部からそのまま上がり、リエコは受験という人生の試練を乗り越えて地方から上京してきた子だ。出合って二ヶ月くらいだろうか。正直なところ、わたしはリエコが気に入っている。
 リエコは一言でいうと可愛らしい。見た目はもちろんのこと、内面が本当に可愛らしいのだ。純粋な女の子。けがれを知らない――っていうのは少し大袈裟だけど本当にそんな感じ。
 わたしはいも甘いも経験した大人の女なんていう気は毛頭ないけど少なくともリエコのような可愛らしい女の子ではない。わたしが出せる可愛らしさは打算に満ちた猫っかぶりくらいだ。まあ、ほとんどの女の子はそうだと思うけどね。
「ん? なに?」
 軽い調子で聞いてみた。以前、リエコは「言いにくいことなんだけど」と前置した後「合コンのこと教えて欲しいんだけど……」と続けた。そのときのわたしの気持ちは「おーお、このお姉さんが教えてあげよう」みたいな感じ、本当に可愛い。妹にしたいくらい。
 だからわたしは今日の話も他愛もないことだと思っていた。その予想は大きく裏切られることになる。
「えっと……ヒロミのこと、悪く言っている子がね……その、いるみたいなの」
「そ、そう」
 わたしは努めて冷静な声を出した。本当は心臓にぐさりと氷柱つららが刺さってみたいな衝撃があった。氷柱の冷気は血管を通って全身をめぐり、ぞくりと背筋に震えが走った。
 わたしの心の動揺は間違いなく声に表れてしまったと思う。ディスプレイの上に備え付けられている小型カメラにはわたしのひきつった顔が映ったことだろう。
「それで、なんて言っているの?」
 わたしはつい急かすように言ってしまった。これでは動揺していることがわかりまくりだ。
 でも、悪い知らせというものは早く知りたいと思うことはよくあることだと思う。わたしは高校時代の部活のレギュラー発表を思い出していた。レギュラーに入れないことは解りきっている。それでも、“もしかしたら、わたしがレギュラーに”の可能性は消えない。それを早く打ち砕いて欲しい。多分それと同じこと。
 わたしは、
「ううん、悪い冗談。ごめんね」
 と、リエコが言ってくれる淡い可能性を持っている。
「ヒロミが……ズルしてメディア科に入ったって」
 リエコの言葉は淡い希望を砕いた。予想通りでもわたしは衝撃を受けていた。多分、わたしは悪意をぶつけられる事に慣れていないのだろう。
 ズルか……リエコらしい言葉だな、と思った。きっと彼女なりにわたしを気遣ってソフトな口当たりの言葉を選んだのだろう。少し嬉しくなる。
「あはは。やっぱりそれね」
 わたしは空笑顔を浮かべた。そんなことはへっちゃらだと虚勢を張った。へっちゃらだったらいいのに、という願望も含まれている。
 わたしが在席している文化メディア学科は人文学部の中で一番人気がある学科だった。内容はメディア――テレビ、新聞、映画、はては漫画まで、そういった娯楽が文化に与える影響を勉強する……らしい。
 わたしが受けている講義の一つには世界的にベストセラーになった本の人気の秘密や、その本のメディア展開の戦略について学ぶ講義がある。正直、高校のときの授業とは比べ物にならないほど面白い。意味不明な数式を憶えたり、大昔の人の名前を暗記しなくてよいのだ。もっと早くこういう勉強をやってもらいたかった。そうしたらもっと勉強が好きになっていたのに。
 文化メディア学科は四年くらい前に出来た新しい学科だ。大人気の学科。高等部から進学するときの進学枠の1.5倍の希望があった。わたしはお世辞にも成績優秀者とはいえない成績だった。多分、ギリギリのラインで合格できたんだと思う。
「ヒロミ、よく通ったね」「エヘヘ……」そんな卒業式前の時期に友達と交わした会話が頭の中によみがえってきた。
「ズルねぇ……、具体的にどんな話か、わかる?」
 聞いてしまえば傷口を広げることはわかっていた。それでも、わたしは黒い好奇心が抑えられなかった。不治の病に冒された人が余命を正確に知りたいのと同じ心理だと思う。不治の病にかかったことなんてないけど。
「え……その……」
 リエコは言い淀み、わたしの様子をうかがうように上目遣いに覗き込んできた。わたしは小さく頷いた。リエコは意を決したように表情を引き締めた。
「あのね。ヒロミが裏から手を回して、その……成績以外の部分でメディア科に入れたんじゃないかって、噂しているみたいなの」
 噂しているみたいなの、か。おそらくリエコはその話を直接耳にしているはず。それでも遠まわしな言い方にしてくれたのはわたしを気遣ってのことだろう。うん、いい子だ。
「ヒロミに聞きたいんだけど……ヒロミの伯父さんが学部長っていうのは本当?」
 そうだよね。やっぱ、それだよね。
「うん。本当だよ。でも、伯父さん言ってたけど学部長っていってもさ、ただその学部の代表なだけで何の権限もないんだよ。だって何年かで簡単に交替するみたいだし……」
「そ、そうだよね。理事長とかじゃないんだし……」
 お互い言葉が続かない。わたしの伯父は確かに学部長を務めている。あの厳格な伯父さんがわたしのために進学に手心を加えてくれたなんて考えられない。それにリエコに言ったように学部長にはそんな権限はないのだ。
 けれど、もし……もし、わたしが進学ギリギリライン上にいて、誰を選ぶかすごく際どい状況だったとき、選ぶ基準の一つに肉親というのがあったかもしれない。当確線上いる数名の中で知っている人がいたら、きっと選びたくなる。わたしならそうしちゃう。けど、それはズルじゃないと思う。
 いいや、わたしは都合の良いことを考えて自分に言い訳している。自分でもメディア学科に入れたことは不思議なのだ。周りが、伯父の権力を使って進学したと思っても仕方ない。
「わたしはヒロミのこと信じてるから。ヒロミの実力で進学したんだよね」
 リエコが笑顔を作って言った。その笑顔にわたしは救われる。
「……うん。ありがとう、リエコ」
 二ヶ月程度しか付き合いのないリエコが信じてくれるのだ。自分で自分を信じなくってどうするんだヒロミ。
「ヒロミ……ケイって子、知っている?
 わたしはドキリとした。ケイ。わたしと同じバスケ部。でも仲がよかったわけじゃない。わたしとケイはレギュラー争いの当確線上にいた。わたしが選ばれたときもあればケイが選ばれたときもあった。そのときどきで調子の良い方が選ばれたのだ。引退試合は……わたしだった。それ以外にもどうにもケイとは調子が合わなかった。気まずい知り合いというのがわたしとケイを的確に言い表している言葉だと思う。
「もしかして……」
「うん。ケイって子が言ってたみたいなの、さっきの話」
 人づてに聞いたことがある。ケイはメディア化を志望していたって。でも今、彼女は社会学科に通っている。



 2、

 わたしの大学は学食がまあまあ充実している。第一学食、第二学食、そしてカフェと呼ばれている第三学食。さらに大手ファーストフード店が何種類か大学の敷地内にある。わたしのお気に入りはカフェだ。第三学食なんてちょっとアレな名前で呼ぶにはオシャレすぎる場所だ。
 人気が高くお昼時はいつも満員だ。午前中の授業が一緒だった友達は混雑を嫌って別のところに行った。いつものわたしならそちらに合わせるのだけど今日ばかりはそうはいかない。
 今日の日替わりランチはペーグルサーモンサンドなのだ。たっぷりのクリームチーズとサーモンさんがスライスオニオンさんとレタスさんと仲良く口の中でダンスを踊るのだ。そうそう味わえる代物ではない。
 カフェは相変わらず混んでいた。わたしはコーヒーとペーグルサーモンサンドをトレイに乗せて座る席を探した。こういうときグループの隣に座るのはちょっと嫌。独りでいることが惨めに感じてしまう。同じように独りでいる人の隣なら問題ないのだけど……あ、丁度いい席があった。
「ここ、いいかしら?」
 わたしは一応隣に座っている女の子に断った。その女の子が少し顔を上げた。わたしはたちまち後悔の念に襲われた。
「どうぞ。ヒラサカさん」
 その女の子はケイだった。ああ、テイクアウトにしておけばよかった。なんて後悔してももう遅い。この状況から脱出するには色々と手遅れだった。思い切り不自然になってしまう。
 いや、わたしは別に悪いことはしていない。むしろ堂々と振舞うべきじゃないかしら。そう自分を鼓舞こぶして席に着いた。
「こんにちは、久しぶりね」
 わたしは驚いた。ケイはとても自然な久しぶりにあった友人に声をかけるように話しかけてきた。
「……卒業以来かな」
 あれ? と思ったのはそれからケイが「メディア科の授業はどう?」とか、「サークルには入っているの?」とか聞いて何気に話が弾んでしまったときだった。
 わたしに悪意を持っていて変な噂を流している張本人が、こんなに親しく話しかけてくるものだろうか。もしかしてケイは恐ろしい神経をしていて実は心の奥でわたしの反応を見てほくそ笑んでいるのだろうか?
 わたしがみたところ、そんな風には見えない。逆にケイにあった苦手意識の塊がわたしの心の中で溶けているような気さえした。
 ケイは左手の内側にある腕時計に視線を走らせ、食事のゴミを片付け始めた。ケイはトレイを持って立ち上がり、ふと、何かを思い出したように止まった。
「お節介かもしれないけど」
「うん?」
 わたしはペータグルサーモンサンドをもぐもぐさせていた。
「ヒラサカさんの傍にいるリエコって子、気をつけたほうがいいわ」
 砂糖とミルク入りのコーヒーでサンドウィッチを流し込んでから、
「どうして?」
 と聞いた。
「あなたの良くない噂を流しているわよ」
「え?」
 わたしは思わず凍りついた。そんなわたしを置いてケイはカフェを出て行ってしまった。
 いやちょっと待って欲しい。ケイは何を言ったのだろう。
 リエコがわたしの良くない噂を流している、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 そんなはずはない。あのリエコがそんなことをするはずがない。第一する理由がない。
 きっとケイが嘘をついているんだ。そうに違いない。
 ……それもなんだか違う気がする。今日のケイの印象は悪くない。むしろ、高等部のケイよりもずっといい印象だ。
 わからない。




 3、

 誰が流布るふしたかわからないまま、わたしの噂は一人歩きし、わたしは少しだけ大学に居づらくなってしまった。
 けれどわたしの傍には色々な友達がいてくれた。高等部から上がってきた子、そして大学で新しく友達になった子。当然、その中にはリエコがいた。
 そういった意味でわたしはリエコに助けられていた。その一方でケイが言ったことも気にかかっていた。わたしはどちらにも確かめることができず、曖昧なまま。わたしは時おり、リエコの笑顔の裏に何かあるのではないかと思うことがあった。
 わたしは「もしかしたら……」という疑心暗鬼と、「友達を疑ってはいけない」という良心の狭間で揺れていた。次第にリエコから距離を取るようになっていた。傍にいなければそんなことを考える必要もない。
 だから、わたしは休みの日にリエコが突然訊ねてきたことを、とても驚いたのだ。
「ヒロミの部屋、かわいいね」
 リエコはわたしのベッドの上にちょこんと腰かけている。
「ありがとう。飲物なにがいい?」
「んーなんでもいいよ。それより、ヒロミ。最近、ちょっと私に冷たいみたいだけど」
 わたしは台所に向かう足を止め、リエコに振り返った。
「そんなことないよ。授業が忙しくて……」
 リエコの唇が三日月を描いてた。キュゥと口が吊りあがった悪魔のような笑顔だった。
「もしかして、気づいちゃった、、、、、、、?」
「え?」
 そこにいるのは誰だろう。今、わたしのベッドの上に腰かけているのは誰? わたしを蔑むような目をしているの誰? 三日月形の嘲笑あざわらうような口元をしているのは一体誰?
「な、何のこと?」
「私がヒロミの噂流しているってこと」
 その言葉はガツンとハンマーのようにわたしの頭を暴力的に殴りつけた。
「どうして……?」
 わたしの声は震えていたと思う。
「ねぇヒロミ。あなたはどうしてだと思う?」
 リエコはくすくすと子悪魔のような笑みをこぼしながらわたしに聞いてきた。
「どうしてだと思うって……そんなことわからないよ。どうして友達にひどいことするの?」
「ねぇヒロミ。あなたのお家って意外にスゴイと自分で思わない? こんな一等地に綺麗なお家。あなたって意外にお嬢さまなんじゃないの?」
「そんなこと……ない」
 もっと凄い家は一杯あるし、わたしはお嬢さまなんて柄じゃない。
「あなたはみんなに愛されて生きてきたのね。悪意に触れたことすらない。純真無垢な可愛い子」
 これがリエコ? リエコの皮を被った別の子じゃないだろうか。そう思えるほど、リエコの変貌ぶりは激しかった。
「私が初めて“悪意”をぶつけたときのあなたの顔、声、本当に可愛かったわぁ」
 くすくす。くすくす。リエコがわらう。
 わたしは自分の世界の大切な“何か”が音を立てて崩れていくのを感じた。
「私と初めて会ったときヒロミは、“この子は田舎から出てきて何も知らないんだな。可愛い”とか思わなかった?」
 思った。初めて会ったときのリエコは浮いていた。田舎者丸出しとは言わないまでも田舎者オーラが出ていた。
「可愛いっていう言葉はね。優越感が含まれているの。弱いものにしか可愛いって言葉は当てはまらないのよ。その言葉の裏には、可愛いと感じた人間の優越感があるのよ」
「何を言っているの? リエコ」
「ヒロミは優越感を持って私に接していた。それは私が意図した部分があるんだけど、どうしても我慢が出来なくなったの。この純真無垢で自分が上だと思っている人に教えてあげたくなったの」
 リエコがわたしのベッドを降りた。
「ヒロミが思っている以上に、この世の中は悪意に満ちているのよ。多分、私が言わなくてもみんな思っていたんじゃないの? あなたがメディア科に入れたのは伯父さんの権力ちからだって」
「そんなことないっ! みんなはそんなこと思ってないわ。それにわたしは実力で……」
「ねぇヒロミ。本当にそう思っているの? あなた自身だってメディア科に入れたこと疑問に思っているんじゃないの? みんなに聞いてみれば? “わたし、実力でメディア科に入れたって思う?”って」
 わたしは何も言い返せない。視界が歪んだ。じんわりと温かいものが瞳に溢れていた。
「本当に可愛いわ。弱くて、何も知らなくて、可愛らしいヒロミ」
 “可愛い”って言葉がこんなに酷い言葉だなんて思いもしなかった。
 わたしはもう限界だった。堰を切ったように涙と感情が溢れてくる。
「わたしは悪くない。わたしが何をしたっていうの? わたしは何もしていない。こんなひどい事されるなんて……」
何もしてなかったからよ、、、、、、、、、、、
 何もしていなかった?
「そう。あなたには義務があったの。メディア科に入るだけの実力を持っている、と周りに示さなければならなかったの。学科長の伯父がいようがいまいが関係ない。そういうところを見せなければならなかったの。けれどあなたは何もしなかった。だから、こう、、なったのよ。多分、わたしがいようといまいとね。今みたいに悪意の塊をぶつけられなくても、じわじわと悪意の小石を投げられたと思うわ」
「う、うぅ」
 わたしは泣くことしかできなかった。わたしは何もしなかった。だからこうなってしまったの? リエコはそれを教えてくれただけ? わたしが悪いの?
「さようなら可愛いヒロミ。もう話をすることもないでしょう」
 リエコは泣き崩れているわたしの横を通って部屋を出て行った。最後にバタンと扉が閉まる。部屋に一人きり。わたしは傍にあったクッションを抱きしめ、泣き続けた。
 わたしは色々なモノを失った。それは本当に可愛らしい女の子に必要なモノだった。





 たぶん、わたしはもう、可愛い女の子じゃいられない。



<了>





2006/12/2 初版

・あとがき

 悪意に満ち満ちた作品です。読者さんのお口に合えばよいのですが……ってこんなもの合うわけないですよね。
 申し訳ございません。みょうちくりんなものを読ませてしまいました。この話は実体験にもとづいていません。作者の想像です。本当です。
 心の中にあるドロドロとした黒いものを吐き出したらこんな形になりました的な話です。
 なんか汚物みたいです。みたいというかそのものです。邪悪です。黒いです。
 ものに光が当たると必然的に陰ができるように、人間の心の中にも陰の部分と言うのはあるのではないかと思います。
 こんな話をここまで読んでくださった方に感謝の言葉を。




感想を切実に求めています。よろしければ以下のメールフォームに記入をお願いします。
必須項目は点数です。「感想なんて書けないよー」と言う人がほとんどだと思うからです。
なので簡単な点数だけを記入してポチッ!! とクリックするだけでよい形にしました。
十段階評価で10が最高、1が最低となっています。
感想・意見を書く場合、名前とメールアドレス(最低でもメールアドレス)が記入されていると、こちらから返信することができるので、作者からのメールが欲しい奇特な方はどうぞ(笑)
実は必須とか、任意というのはのぼやが勝手に言っているだけで、空メールとかじゃんじゃん送れたりします。
やる人はいないと思いますが、一応言っておきます悪戯は止めてください。
無記名で点数を送ることができますが、連続して送らないでください。特に「1」点が連発すると作者が凹みます。


名前(任意):

メールアドレス(任意):

点数: 1 2  3 5 7 9 10

感想・意見(任意)


一覧に戻る。


SEO [PR]  冷え対策 再就職支援 わけあり商品 無料レンタルサーバー ブログ SEO