今日は高校の入学式だ。母親は中学までとは違い入学式に行くという恥ずかしいことは口にしなかった。やはり高校生になると、ある程度大人として見てもらえているということだろうか。玄関での記念撮影もないし――
と、新居の奥から「おーい」という間の抜けた父親の声が聞こえてきた。嫌な予感に振り返ると、旧式のカメラを持ってにこにこしている父親がいた。その隣には同じような笑顔の母親。息子の晴れ姿を是非ともカメラに収めようという親の顔だ。
うん、息子の羞恥心なんてお構いなしだ。成人式もこうなってしまうのだろうか、と想像すると暗澹とした気持ちになってくる。そりゃ、記録を残したいという親心が分からないわけではないけど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「道、大丈夫なの?」
「心配ないよ。下見したから知ってる」
実は心配だったりする。だが、高校の入学式に親に送ってもらうというのはどうかと思うので、黙っていた。
「そう。いってらっしゃい」
両親の笑顔に押し出されて家を出た。門を出て、少し離れたところで振り返る。母が好きな新緑色の屋根に真新しい白い壁。特徴があるわけじゃないけど新しい我が家。家族の夢だったマイホームってヤツだ。僕もついに自分の部屋というものを手に入れた。
その代わりに失ったものは少なくない。歩きなれた道、気の会う友人、学校帰りによく立ち寄った書店、学校までの近道になっている頑固ジジイのいる庭。そういった小さなことまで頭の中に浮かんできて、僕はちょっとマズかった。
この新しい土地でやっていけるのか。心の奥にあった小さな不安がどんどん大きくなっていた。本当にマズいこのままだとドンドンネガティブな方向に自分が引きずられてしまう。
――と。いきなり声をかけられた。
「おはよう」
「え?」
僕はきっと間の抜けた顔をしてしまっただろう。僕は慌てて目尻を擦った。
挨拶をしてきたのは女の子だった。僕と同じくらいの歳に見える。そしておろしたてのセーラー服を着ていた。紺色のカラーに二本白いラインが走り、スカーフは臙脂色。スカートは膝上15センチくらいだろう。白い足が綺麗で……
「どこ見てるの?」
不思議そうな女の子の声で僕は顔を上げた。小首を傾げている女の子の顔に出会った。
「い、いや。別に……」
僕は本当に情けない反応しか出来なかった。ときどき、こんな自分が嫌になってくる。
「水経の生徒だよね」
と、女の子が言った。水経というのは僕がこれから通うことになっている水勢崎経済大学付属高等学校のことである。僕は引越しと同時に新しい高校に通うことになっていた。途中で転校するより区切りがいいだろうという親の配慮からだった。
「そうだけど……」
僕がそう言うと、女の子はほっとした顔をした。表情がすぐ顔に出てくるタイプのようだ。
「よかったぁ。ね。一緒に行こう。わたし、道にちょっと自信がなくって」
「君も新入生?」
「うん。そう。わたしは普通科だけど、あなたは?」
「僕も普通科だよ」
僕たちはいつのまにか歩き出していた。
僕たちは歩きながら、担任の先生はどんな人になるのだろうか、とか僕が以前住んでいた場所について話をした。初対面なのに昔から知っている気心の知れた相手のような感じだった。
僕たちはお互いに道を詳しく知らないのにもかかわらず、立ち止まって考えることもしないですたすたと歩いていた。そのことに何の疑問も持たなかった。引っ越してしまったため、この土地には友達は一人もいない。僕は久しぶりに同年代の人と話が出来て楽しかった。
住宅が立ち並ぶ狭い道から、大きな通りに出た。この道に沿って歩けば校舎が見えてくるはずだ。水経の制服を着た生徒たちがちらほら歩いているのが見えた。僕は少しほっとした。この道で間違いないという確信が持てたからだ。
僕はその場に立ち尽くしてしまった。どうして今の今まで気がつかなかったのだろう。水経の制服は男子も女子もブレザー。
僕はゆっくり振り向いた。横にはセーラー服の女の子は。しかし――そこには誰の姿もなかった。
次の日の朝、僕が家を出て歩いていると明るい声が聞こえた。
「おはよう」
僕は振り向いた。予想通り、セーラー服の女の子がにこにこと微笑んでいた。女の子は小走りして、僕の隣に並んだ。
「今日も一緒に行こうよ」
屈託のない顔に面喰らったが、僕は昨日ずっと考えていたことを口にした。
「えーと……君は幽霊?」
幽霊のような存在としか考えられなかった。僕の考えはこうだ。昔、この道を通学路にしていた女の子が突然の事故か何かで死んでしまってその未練が形となってこの道に残っている。幽霊怪奇譚によくありそうな話だった。問題はこんな朝っぱらから出現する幽霊の話を聞いたことがないことだ。幽霊といえば真夜中。朝は最も苦手な時間帯なはずだ。……幽霊のことなんてよく知らないけどお決まりみたいなものだ。
僕たちは昨日と同じようにT字路を曲がった。
「ん? 違うよ」
女の子は馬鹿にするわけでもなく言った。
「だったら君は何者なんだよ。水経の生徒っていうのも嘘だろ」
「うん。話をあわせるために適当に言った。普通科っていうのも嘘」
やけに素直で正直な幽霊(?)だった。
「僕にとり憑いて生気を奪うつもり?」
僕はありきたりな幽霊の目的を言ってみた。生への執着から生きている者を憎む。よくある話だ。
「そんなことしないし、できないよ。それに生気ってどうやって奪うの?」
逆に聞かれてしまった。女の子の顔はやはり真剣で、からかっているようには見えない。
「僕が知るわけないだろ。幽霊じゃないんだから」
「わたしもだよ。そんな方法知らない。だって幽霊じゃないから」
綺麗にオチがついてしまった。女の子はニコニコと僕の顔を覗きこんでいる。
「だったらなんなんだよ……」
「さぁ? なんだろうね」
女の子は斜め上に視線を漂わせていた。きっと考えるときの仕草なんだろう。僕の友達もそうだった。
車が通る音が聞こえる。大通りが近い。
ガサッ! と上の方から音がした。塀からはみ出している茂みに塀の上を歩いていた猫が触れたようだ。僕が顔を上げたとき、トラ縞の猫の後姿が見えた。
女の子はやはり消えていた。
「ねぇ、こうは考えられないかな」
三日目の朝も僕は例の女の子と一緒に歩いていた。正体の知れない相手なのにおどろおどろしい感じが全然しない。むしろ、ずっと一緒だったような気すらしてくる。空気や道端の石ころのような……。
「幽霊とか、精霊とか、妖精とか、天使とか、とにかくそういうよくわからないモノがいるとするでしょう」
精霊、妖精、天使などどちらかというと可愛らしいイメージのある言葉で説明してくるところが、ちょっと面白いと思った。
「その中にも色々のいるの。人間だってそうでしょう。すっごくいい人と、すっごく悪い人、その中間の人。色々な人がいるよね」
僕は「そうだね」と相槌を打ちながら、自分は中間の人だな、なんて考えていた。
「人間の中にも何の害も及ぼさないけど、得にもならない人がいるでしょう。わたしはきっとソレ」
「ソレって?」
「無害無益な幽霊ってこと」
女の子はどこか誇らしげに言った。
そういうのがいてもいいか、僕はそう思った。
<了>