緑色のフェンスに背を預けた優子は、はっとした表情で背を浮かし、後ろを見た。古いフェンスが白い痕になって残ったことがあるのを思い出したのだ。幸いなことに藍色の制服に、汚れは見当たらない。
優子は、安心してフェンスに体をもたれかけさせた。
「うちの高校の屋上でこうなってたんだ。意外と綺麗じゃん」
「そうかな? 普通だと思うけど」
と言ったのは優子の隣にちょこんと腰を下ろしている紗智子だ。
「うちの中学はそこらじゅうがカビのようなヘドロのようなヤツがあって、昼寝する気になれなかったよ。あたしの小さな夢が打ち砕かれた瞬間だったわ」
中学生の優子は、漫画やTVドラマでよくあるシーンのように屋上で昼寝することを夢見ていたらしい。
「そうなんだ」と相槌をうった紗智子の目を見て優子は言った。
「――で、立ち入り禁止ってことを知っていてどうして紗智子があたしをこんなところに誘ったわけ?」
紗智子という生徒の評判を先生方に聞けば十人中十人が優等生と答えるだろう。服装も校則通り、でも、優等生を気取るところがなく、誰にでも評判がよい女の子だ。
「あのね。ゆうちゃん……その、今日、告白しようかなって」
紗智子は頬を赤らめてぼそっと言った。
「あんたね……」
優子は呆れたように紗智子を見た。
「わかってるよ。ゆうちゃんの言ったことすっごくよくわかってる。わたしもすっごく悩んだの。わたしじゃつり合わないってわかってる」
必死に放す紗智子の顔を見て、優子は説得するのは無理だと悟った。完全完璧な恋する乙女の表情をした紗智子を止めるのは優子には出来ない相談だった。
「どこがいいのよ」
ため息混じりに言った。
「……全部」
目を輝かせて言う紗智子。
「……さいですか」
そのとき、ガチャガチャと屋上に続くドアから音が聞こえた。脇にある窓が開いているのが見つかってしまったらしい。
「や、やばっ」
優子が立ち上がるのと、鉄の扉が開くのはほぼ同時だった。
「こらー!!。お前たち、何をしている!!」
登場したのは倉林静雄、32歳独身、地理担当、生活指導の肩書きもある先生であった。中肉中背で、最近、頭髪が淋しくなろうという兆候が見られる以外、外見的特徴のない先生である。
しまったなぁ、と立ち尽くす優子の隣から紗智子が、すたたたと倉林のもとへ駆けていった。
「ん? 3組の吉野じゃないか」
倉林は意外そうな顔をした。屋上に進入した生徒が、優等生で通っている紗智子だとは予想がつかなかったらしい。
「あの……先生」
「なんだ?」
倉林は訝しげに言った。彼であろうと誰であろうと、続く紗智子の言葉はいい訳だろう、と予想したはずだ。
その予想は見事に裏切られる。
「先生。好きです!!」
倉林が固まる。優子が小さく「わーお」と歓声を上げた。
紗智子はそのまま、倉林に抱きついた。
「…………マジに告っちゃったよ」
優子はふと思った。倉林が屋上に来たのは、はたして偶然なのか、と。担任を持たない倉林はよく校内を巡回している。その巡回が日によってパターンが決まっていたとしたら――。
優子はいまだ固まっている倉林と胸に顔をうずめながら答えを待っている紗智子を遠くから眺めながら、ま、そんなことはどうでもいっか、と思った。
<了>