僕の妹







 ベッドの上に醜いサルの人形がある。僕の妹だ。



 僕は妹をキモチワルイと思っている。
 髪の毛がまばらだ。ところどころ禿げている。顔はつぶれたカエルみたいで、いつもチューブに繋がれている。妹はナントカカントカという難しい名前の病気におかされているらしい。あまりに難しいのでお母さんとお父さんも正確に言うことができないくらいだ。とても重い病気で何度も手術を受けている。
 305号室。それが妹の部屋だ。今僕がここにいるのは両親に連れられてお見舞いに来たからだ。
 病院は嫌いだ。ツンとした変な臭いがする。全体が暗い気がする。もちろん予防接種とかワケのわからない注射をしてくるお医者さんも嫌いだ。
 予防接種を何で受けないといけないかがわからない。みんな嫌がっているじゃないか。人が嫌がることをしちゃいけないと、お母さんは言う。する人は悪い人だと。お医者さんは悪い人だ。
 今、お父さんとお母さんは悪いお医者さんと大事な話をしているらしい。僕は妹の鼻に繋がっているチューブをぼんやりと眺めていた。チューブをたどると変な機械がある。あれが妹を生かしているんだろう。
 妹が生まれてからお父さんとお母さんは変わった。
 お父さん――毎週、僕を連れて見舞いに行く。妹が生まれる前はキャッチボールや公園に連れて行ってくれたのに。
 お母さん――毎日仕事が終わってから病院に行っているみたい。面会時間ギリギリまでいる。疲れて帰ってくる。途中のスーパーで出来合いのおかずを買ってくる。レンジでチン。熱いだけで味は冷たい。妹が生まれる前は美味しい夕食を作ってくれたのに。
 僕は妹を睨みつけた。
 どうして? 両親を独り占めにする?
 どうして? 病気なんだ?
 どうして? 
 どうして? 
 どうして――生まれてきたんだよ!!
 この前の僕の誕生日だってお前が急にヨウタイが悪くなるから、誕生会どころじゃなかった。
 突然の電話。血相を変えるお母さん。慌てるお父さん。二人とも急いで病院に向かう。僕は独りきり、ケーキの前で蹲っていた。早く帰ってきてよ。僕の誕生日を祝ってよ。
 結局、その日、二人は僕の誕生日を祝ってくれなかった。
 ことあるごとに両親の口をつく言葉は二つ。
 ユキエが――
 ユキエのお兄ちゃんなんだから――
 病室のドアがスライドして看護婦さんが入ってきた。
「あら、ユウキくん。こんにちは」
「こんにちは」
 僕はお辞儀をする。
「いつもお見舞いに来ててえらいね」
 僕はこの看護婦さんが好きだ。優しくて子供の僕の話もしっかり聞いてくれる。
「そういえばユウキくん、8歳になったのよね」
 僕は頷く。
「少し遅れちゃったかもしれないけどお誕生日おめでとう。こんなものしかないけど私からのプレゼントだよ」
 クッキーを貰った。嬉しかった。でもすぐに看護婦さんは妹に意識を移してしまう。妹をじっと見ながら色々やっている。
「今ね、ユキエちゃんはすっごく頑張っているの」
 看護婦さんが言った。
「生きたいってすっごく頑張っているのよ」
 僕はじっと妹を見る。僕にはよくわからなかった。
「これからユキエちゃんは大事な手術をするの」
 看護婦さんは妹の小さな手を優しく握った。
「ユウキくんも元気を送ってあげて」
 僕は言われるままに妹の手にそっと触れた。小さくて、華奢で、このまま握ったら簡単に折れてしまいそうな掌だった。僕の人差し指が妹に握られた。弱々しくでもはっきりとわかる力で。
「お兄ちゃんってわかるのね」
 看護婦さんの手は握り返されなかったのに、僕の手は握り返してきた。偶然だ。僕は妹が嫌いだ。不細工だし、みんなからチヤホヤされているし……大嫌いだ。
 でも――妹の手は温かかった。僕は元気を送らなかった。




 手術は成功したみたいだ。
 お母さんはしきりにお医者さんに「ありがとうございます」と頭を下げていた。お父さんも嬉しそうだ。
「経過はとても順調です。今後のことについて詳しく説明いたします」
 そう言ってお医者さんと両親は病室から出て行った。
 妹と二人きりになる。妹の鼻からはチューブが外れ、あの機械もどこかに行ってしまった。
 ドアがスライドしてあの看護婦さんが入ってきた。
「よかったねぇ」
 看護婦さんは本当に嬉しそうに言った。
「よく眠っているわ。今、ユキエちゃんは自分の力で眠っているのよ」
 看護婦さんは眠ることにも元気が必要なことを教えてくれた。
「ユウキくんが元気を送ってくれたからかな」
 僕はそんなことはしてない。僕は妹に手を伸ばしてみた。小さな手に触れる。温かい。そしてまた弱々しく握り返してくる。お兄ちゃん、と言うように。
 看護婦さんはにっこり笑って、
「いいお兄ちゃんでよかったね。ユキエちゃん」
 と妹に呼びかけた。
 また妹が小さく僕の指を握る。なんだかよくわからない熱いもので胸が一杯になった。一杯になったそれはぽろぽろと瞳からこぼれた。
「あらあら。ユウキくんは優しいね」
 看護婦さんは僕の頭を撫でてくれた。
 僕は優しくなんかない。
 僕は元気なんて送ってない。
 ――だけど、どうしてお前は僕の指を握り返してくるんだよ。
 僕はお前を嫌っているんだぞ。大嫌いなんだぞ。不細工だと思ってんだぞ。
 なのに、どうして……。
 妹の手は小さく温かい。僕は心の中で何度も妹に謝り、そして祈った。



 ベッドの上に小さな、それでも必死に生きている女の子がいる。僕の妹だ。



<了>





2006/7/29 初版

・あとがき

 自分には妹がいますが、まったく病気をせずに元気に暮らしています。
 自分の母方の祖父は自分が物心ついたときにはすでに寝たきり状態でした。
 寝たきりの原因は脳梗塞でした。
 幼い自分はこの物語の「僕」のような気持ちを持っていました。
 でも、祖父は自分が生まれた頃のときは脳梗塞ではなかったそうです。
 今思うと、祖父が自分に向けていた目は孫を見る目だったのかもしれません。
 今になってそんなことを思うとは。もっとちゃんと祖父と接していれば……と、後悔しています。




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